〈柿崎景家〉織田信長への内通で謙信に誅殺された

初出は江戸期に米沢藩で編纂された『景勝公一代略記』。反証として(1)子・晴家が連座せず、天正3年「上杉家軍役帳」等に柿崎家当主として名がある、(2)当時上杉・織田は交戦状態になく内通を疑う状況にない、(3)重臣中の重臣を噂で処刑するとは考えにくい——の3点が挙げられ、近年は否定的。天正2年(1574)病死説が比較的有力である。

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