〈小笠原長時〉長時は小笠原流礼法「中興の祖」である
永禄5年(1562)、赤沢経直(小笠原貞経)への糾法的伝・系図・記録類の譲渡は小笠原流宗家(弓馬術礼法小笠原教場)の公式沿革にも明記される。だが礼法の体系化自体は室町期の小笠原長秀・持長らの功績で、長時個人が流儀を再興・大成したわけではない。実態は「乱世で流儀を絶やさぬための道統譲渡」であり、「中興の祖」は宗家側の顕彰的表現である。
永禄5年(1562)、赤沢経直(小笠原貞経)への糾法的伝・系図・記録類の譲渡は小笠原流宗家(弓馬術礼法小笠原教場)の公式沿革にも明記される。だが礼法の体系化自体は室町期の小笠原長秀・持長らの功績で、長時個人が流儀を再興・大成したわけではない。実態は「乱世で流儀を絶やさぬための道統譲渡」であり、「中興の祖」は宗家側の顕彰的表現である。