〈南部信直〉盛岡城の築城を計画し、南部家を近世大名に変えた

浅野長政が「不来方こそ城地に適する」と勧め、信直も同意見で築城認可を秀吉に求めたと伝わる。認可は慶長3年(1598)頃とみられるが正確な時期は判然とせず、着工年次にも慶長2年説・3年説がある。一方、文禄期の諸城破却(領内48城から10城前後へ)・検地・蔵入地支配の整備は研究で確認されており、「藩祖」の評価はこの近世化の起点を作った点に基づく。

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