〈斯波詮直〉落城後の行方——四つの説

(1)同族の大崎義隆を頼った説(大崎氏自体が1590年に改易され消息不明に)。(2)志和稲荷の別当成就院を経て旧臣・山王海左衛門太郎に匿われ慶長2年(1597)死去・享年50とする説(地元伝承。出典未確認扱い)。(3)一時南部藩に仕え、大坂の陣ののち京都に留まり子孫は二条家に仕えたとする説。(4)「奥州斯波系図」付属覚書による伊達政宗領「つのかけ」退去・病死説。なお「最上氏を頼った」説は信頼できる典拠を確認できない。確かな最期は「わからない」が結論である。初出:各説とも後世の系図・所伝。

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