〈斯波詮直〉岩清水兄弟——弟は内通し、兄は殉じた

弟・義教は中野康実の調略に応じて挙兵し、兄・義長は最後まで詮直に忠節を尽くして討死したと伝わる。「兄弟が新旧両陣営に分かれた」こと自体は所伝間で一致し史実の反映とみてよいが、兵数(300対50)まで伝わる劇的な対比は江戸期の記録・郷土伝承によるもので、忠臣・義長の造形には主家滅亡を美談で飾る後世の脚色が混じる可能性が高い。初出:南部藩側編纂物・郷土伝承。

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