〈安芸国虎〉岡豊城を落城寸前まで追い込んだ・「福留の荒切り」

永禄6年(1563)の岡豊城攻めと永禄7年の兼定仲介による和睦は通説として広く受け入れられる。ただし兵数5000、落城寸前、福留親政が37人(20人とも)を斬った「荒切り」などの描写は『土佐物語』等の長宗我部側軍記が初出で、勝者側の武勇譚として誇張を含む可能性が高い。

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