〈秋月種長〉「三人組」の寝返りと西軍諸将の謀殺——種長主導か
内応と諸将謀殺そのものは東軍側・大垣側双方の記録で確実(殺された諸将全員の供養墓が人吉市願成寺に現存)。ただし細部は史料間で齟齬がある。日付は、16日夜に内応交渉・17日早朝謀殺とする資料(『新修大垣市史』系)と18日とする資料があり1日ずれる。主導者は、秋月側の記述では「水野勝成が種長の家老に書を送り、種長が弟と相良を誘った」と種長主導だが、相良側の記録では実行者は相良家老・犬童頼兄。「交渉の窓口は秋月、実行の汚れ役は相良家老」という分担だった可能性が高いが、各家の家譜が自家の功を強調しており断定できない。