〈相良義陽〉降伏直後に「盟友を討て」と先鋒を命じられた

天正9年の水俣城包囲、葦北5城割譲、息子2人の人質、阿蘇領侵攻命令は諸史料が一致する史実。降伏直後の当主に旧盟友への先陣を命じるのは忠誠の踏み絵と国人分断を兼ねた島津氏の統制策と解釈されるが、島津側の「意図」を明記した一次史料はない点に注意。

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