〈佐久間信盛〉「高野山にも居られず熊野で窮死」は本当か

『信長公記』は高野山にも居られず熊野へ落ち、従者は1名のみと凋落の哀話を描く。だが神田千里氏は信盛自身の書状と『多聞院日記』から「高野山で平穏に余生を送った」とし、熊野流寓を『信長公記』の誤謬とみる(2014)。山岡景友の訪問を涙で喜んだ逸話(『當代記』)もあり、「哀れな末路」像は太田牛一の文学的筆致の影響の可能性が高い。

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