〈教如〉関ヶ原直前の小山下向と帰路の危難
慶長5年(1600)に大坂・伏見で家康と会い、7月に下野小山まで下って対面、8月17日に帰京したことは『御堂日記』等で確認できる史実。一方、帰路に石田三成方の襲撃に遭ったという話は、『神田徳本寺由緒秘録』(織田秀信の計らいで関を逃れた)と『教如上人遭難顛末』(美濃森部村光顕寺の「土手組」門徒に救われた)で経過が食い違う後世の編纂物による。ただし教如が光顕寺門徒らへ感謝の礼状を送ったことは確認され、門徒の護衛があった蓋然性は高い。
慶長5年(1600)に大坂・伏見で家康と会い、7月に下野小山まで下って対面、8月17日に帰京したことは『御堂日記』等で確認できる史実。一方、帰路に石田三成方の襲撃に遭ったという話は、『神田徳本寺由緒秘録』(織田秀信の計らいで関を逃れた)と『教如上人遭難顛末』(美濃森部村光顕寺の「土手組」門徒に救われた)で経過が食い違う後世の編纂物による。ただし教如が光顕寺門徒らへ感謝の礼状を送ったことは確認され、門徒の護衛があった蓋然性は高い。