〈片倉重長〉信繁の子・大八を「夭折した」と偽って守った

信繁次男・大八は姉・阿梅の縁で白石に匿われ、寛永17年(1640)頃「真田守信」として仙台藩士に。幕府の詮議には藩が「大八は幼少時に石合戦で死んだ」と弁明し、守信は片倉姓を称して難を逃れた。子孫は真田姓に復し仙台真田家として現存する(『仙台真田代々記』)。ただし近年「守信は実は信繁の叔父・信尹系の人物で、大八は本当に夭折した」とする異説が提起されており、守信=大八説は家伝に基づく通説である。

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