〈菊池義武〉菊池氏への入嗣は「傀儡としての擁立」だった
父・義長の代から当主の首のすげ替え(政隆排除→武経支援→武経排除→武包を中継ぎに)が段階的に進められ、永正7年(1510)には相良氏に武経排除への協力を求めた文書も残る。大友氏による計画的な菊池氏掌握とみるのが近年の通説(阿蘇品保夫『菊池一族』ほか)。平和的譲渡か追放かの細部は諸説。
父・義長の代から当主の首のすげ替え(政隆排除→武経支援→武経排除→武包を中継ぎに)が段階的に進められ、永正7年(1510)には相良氏に武経排除への協力を求めた文書も残る。大友氏による計画的な菊池氏掌握とみるのが近年の通説(阿蘇品保夫『菊池一族』ほか)。平和的譲渡か追放かの細部は諸説。