〈山本勘助〉2008年〜、真下家文書が「複数世代の菅助」を解明した
平成20年(2008年)、群馬県安中市の旧家・真下家で武田晴信発給の山本菅助宛文書が発見され、山梨県立博物館ほかの調査で文書群として整理された。天文17年(1548年)4月付判物は伊那郡での戦功を賞するもので、菅助の実務活動が具体的に判明。さらに初代菅助の活動が永禄4年(1561年)で途絶し、以後は名跡を継いだ二代目以降の「菅助」が現れることが明らかになった。
平成20年(2008年)、群馬県安中市の旧家・真下家で武田晴信発給の山本菅助宛文書が発見され、山梨県立博物館ほかの調査で文書群として整理された。天文17年(1548年)4月付判物は伊那郡での戦功を賞するもので、菅助の実務活動が具体的に判明。さらに初代菅助の活動が永禄4年(1561年)で途絶し、以後は名跡を継いだ二代目以降の「菅助」が現れることが明らかになった。