〈菅沼定盈〉元亀4年3月の人質交換

野田開城で捕虜となった定盈は、元亀4年(1573)3月、武田方に転じた山家三方衆(奥平氏ら)がかつて浜松城に差し出していた人質と交換される形で解放され、家康のもとに帰参した。『寛政重修諸家譜』ほか諸系譜・軍記に見え、通説として定着。捕虜の身から一切武田に転ばず帰参した点が「忠節の定盈」像の核である。

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