〈本多正純〉家康臨終に侍り、日光造営を差配した

元和2年(1616年)、駿府城での家康臨終の場に側近として侍り、遺言(久能山への埋葬、日光への勧請等)に関わった。同年、秀忠の命で天海・藤堂高虎らとともに日光の家康廟(日光東照宮の前身社殿)造営を差配したと伝わる。元和創建時の造営奉行としての関与は大筋史実とされるが、役割の詳細には史料差がある。

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