〈色部勝長〉本庄家中の内紛を12年にわたり調停した

天文8年(1539)の本庄家中政変(当主房長の死)から、天文20年(1551)の本庄繁長の仇討ちと鮎川氏との対立まで、繰り返し仲裁に立った。文書史料と諸研究(渡辺三省『本庄氏と色部氏』等)に基づく。揚北衆の共倒れが守護代の介入口実になることを見越した政治行動と評価される。

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