〈色部勝長〉謙信の出陣要請を一度断った
弘治3年(1557)、葛山城の危機に際し出陣を求められたが領内疲弊を理由にいったん辞退。長尾景虎が重ねて出陣を懇請した書状が色部文書に残ることから、要請と難色のやり取りは史実である。ただし最終的に兵を出したかは不明とする資料もある。主従関係が「命令と服従」でなく「交渉と合意」だったことを示す逸話として著名。
弘治3年(1557)、葛山城の危機に際し出陣を求められたが領内疲弊を理由にいったん辞退。長尾景虎が重ねて出陣を懇請した書状が色部文書に残ることから、要請と難色のやり取りは史実である。ただし最終的に兵を出したかは不明とする資料もある。主従関係が「命令と服従」でなく「交渉と合意」だったことを示す逸話として著名。