〈柿崎景家〉柿崎家は御館の乱を越えて存続した
晴家の死後、幼い千熊丸(憲家)を擁した家臣団が景勝方に付き、柿崎家は存続。後見は直江兼続が務めた。文禄3年(1594)に2,861石を知行、慶長2年(1597)改易、寛永元年(1624)米沢藩で再興——と記録上たどれる。二代の非業の死と改易を越えて幕末まで続いた家名に、譜代重臣の家格の高さが表れる。
晴家の死後、幼い千熊丸(憲家)を擁した家臣団が景勝方に付き、柿崎家は存続。後見は直江兼続が務めた。文禄3年(1594)に2,861石を知行、慶長2年(1597)改易、寛永元年(1624)米沢藩で再興——と記録上たどれる。二代の非業の死と改易を越えて幕末まで続いた家名に、譜代重臣の家格の高さが表れる。