戸沢政盛
とざわ まさもり 1585〜1648
出羽角館城主・戸沢氏の第20代当主にして、出羽新庄藩の初代藩主。「夜叉九郎」と恐れられた戦国大名・戸沢盛安の庶長子として生まれ、父と叔父の相次ぐ死により幼くして擁立された。関ヶ原後に常陸松岡へ移されるが、鳥居家との縁組を足がかりに元和8年(1622)、6万石で出羽新庄へ復帰。新庄城と城下町を建設し、明治まで続く家の礎を築いた。
ゆかりのお城
戸沢政盛の逸話
- 〈戸沢政盛〉幼くして第20代当主となった
- 〈戸沢政盛〉関ヶ原で東軍に参加し、上杉方の東禅寺城を攻めた
- 〈戸沢政盛〉鳥居家との二重の縁組で家を守った
- 〈戸沢政盛〉新庄6万石への加増転封(1622)——最上氏改易の「後釜」
- 〈戸沢政盛〉新庄城と城下町をゼロから建設した
- 〈戸沢政盛〉56歳で実子・正誠が生まれ、戸沢の血筋が続いた
- 〈戸沢政盛〉政盛の「置き土産」——戸沢家は明治まで続いた
- 〈戸沢政盛〉「百姓の家で育った」出自伝承
- 〈戸沢政盛〉家臣団が東光坊を斬殺して政盛を「奪還」した
- 〈戸沢政盛〉常陸松岡4万石は「栄転」か「左遷」か
- 〈戸沢政盛〉転封の理由は「消極的態度への懲罰」だったか
- 〈戸沢政盛〉臨終の言葉と「縁組」の台詞