前野長康

まえの ながやす 1528〜1595

尾張国丹羽郡前野村の土豪出身とされ、蜂須賀正勝とともに秀吉最古参クラスの与力として美濃攻めから播磨平定まで転戦。三木城主を経て但馬出石5万3千石の大名となり、聚楽第行幸の先導、文禄の役の奉行衆を務めた。文禄4年(1595)、豊臣秀次の宿老だったため秀次事件に連座し、嫡男・景定に続いて伏見で切腹。大名としての前野宗家は断絶した。

ゆかりのお城

前野長康の逸話