堀秀政
ほり ひでまさ 1553〜1590
美濃国茜部に斎藤道三家臣・堀秀重の長男として生まれ、13歳で織田信長の小姓・側近に取り立てられる。本能寺の変直前に備中の秀吉軍へ軍監として派遣されていたことが運命を分け、以後は秀吉子飼い筆頭格の大名として台頭。天正18年(1590)5月27日、小田原征伐の陣中で病没した。
ゆかりのお城
堀秀政の逸話
- 〈堀秀政〉13歳で信長の小姓、若くして奉行に抜擢
- 〈堀秀政〉本能寺の変のとき、備中の秀吉陣にいた
- 〈堀秀政〉賤ヶ岳で柴田勢を撃退、家康が「比類なき儀」と賞賛
- 〈堀秀政〉長久手・桧ヶ根で徳川方先鋒を撃破した
- 〈堀秀政〉「名人久太郎」と呼ばれた
- 〈堀秀政〉小田原の陣後に相模一国への加増が内定していた
- 〈堀秀政〉山崎で家臣の諫言により天王山の登り道を変えた
- 〈堀秀政〉銃声の途絶で「味方の敗軍」を看破し、田中吉政を叱った
- 〈堀秀政〉「生きていれば五大老になった」
- 〈堀秀政〉乱心した家臣を斬り、直政に「自分が先だった」と声をかけた
- 〈堀秀政〉荷物を自ら背負い、旗持ちのために馬を替えた
- 〈堀秀政〉門前の落書(批判ビラ)を「天の与え」として拝んだ