〈横田高松〉砥石崩れで殿軍を務め討死した

戦死は一次史料『勝山記(妙法寺記)』に見え、武田方が高松ら約1000人を失ったと記される——彼の事績で最も確実な記録である。ただし勝山記の日付「9月1日」は『高白斎記』(攻撃開始9月9日)と矛盾し、月の誤記で実際は10月1日の撤退戦とするのが通説。「殿軍として一手に引き受けた」という戦いぶりは『甲陽軍鑑』由来。

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