〈木曾義昌〉織田方への離反と人質(母・嫡男・娘)処刑

天正10年(1582)1月、遠山友忠を介した織田信忠の調略に応じ、弟を人質に離反(平山優『天正壬午の乱』)。勝頼は義昌の母・嫡男千太郎・長女岩姫を新府城で処刑した。人質の顔ぶれや年齢は『甲乱記』等の軍記に拠る部分があり細部は諸説だが、離反が甲州征伐の直接の引き金になったことは確実。

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