〈最上義守〉将軍足利義輝に謁見し「御所」として遇された
永禄6年(1563)、嫡男義光を伴い上洛して将軍義輝に謁見。公家・山科言継の日記『言継卿記』永禄6年6月14日条(一次史料)に「最上修理大夫」と見える。名門斯波氏一門として御所号をもって遇されたことは伊藤清郎・山口博之編『中世出羽の領主と城館』が論じる。出羽の大名の上洛例として貴重で、義守の家格意識と中央志向を示す。
永禄6年(1563)、嫡男義光を伴い上洛して将軍義輝に謁見。公家・山科言継の日記『言継卿記』永禄6年6月14日条(一次史料)に「最上修理大夫」と見える。名門斯波氏一門として御所号をもって遇されたことは伊藤清郎・山口博之編『中世出羽の領主と城館』が論じる。出羽の大名の上洛例として貴重で、義守の家格意識と中央志向を示す。