〈最上義光〉長谷堂城の戦い — 1,000人で2万を止めた
慶長5年(1600)9月、直江兼続率いる上杉軍2万〜2万5千の侵攻に対し、志村光安ら約1,000が長谷堂城で半月持ちこたえ、上泉泰綱を討ち取った。関ヶ原の敗報(9月29日到達)で上杉軍は撤退。経過全体は最上・上杉・伊達三家の文書で裏付けられる。「兼続の見事な退き口を家康・義光が賞賛した」という美談的細部は軍記由来の諸説。
慶長5年(1600)9月、直江兼続率いる上杉軍2万〜2万5千の侵攻に対し、志村光安ら約1,000が長谷堂城で半月持ちこたえ、上泉泰綱を討ち取った。関ヶ原の敗報(9月29日到達)で上杉軍は撤退。経過全体は最上・上杉・伊達三家の文書で裏付けられる。「兼続の見事な退き口を家康・義光が賞賛した」という美談的細部は軍記由来の諸説。