〈相馬盛胤〉相馬家の存続 — 盛胤の遺産として
慶長7年(1602)の改易と、孫・利胤らの本領回復運動による相馬中村藩(6万石)としての存続は史実。これ自体は没後の孫世代の功績だが、1590年の岐路で盛胤が「家名存続」を第一に掲げたこと、秀吉政権下で所領安堵を得たことがその前提を作った。「鎌倉から明治まで約700年同じ土地を治めた家」という相馬氏の看板は、盛胤の代の防衛戦なしには成立しない。
慶長7年(1602)の改易と、孫・利胤らの本領回復運動による相馬中村藩(6万石)としての存続は史実。これ自体は没後の孫世代の功績だが、1590年の岐路で盛胤が「家名存続」を第一に掲げたこと、秀吉政権下で所領安堵を得たことがその前提を作った。「鎌倉から明治まで約700年同じ土地を治めた家」という相馬氏の看板は、盛胤の代の防衛戦なしには成立しない。