〈本山茂辰〉朝倉城を自ら焼いて捨てた

永禄6年(1563)1月10日、茂辰は本拠・朝倉城を自焼・放棄して山間の本山城へ退いた。敵に拠点を使わせない戦略的撤退で、本山氏の平野部支配の終焉を画する。日付を含め諸書がほぼ一致し、以後の長宗我部氏の土佐中部制圧という結果とも整合する。同年5月の岡豊反攻は軍記由来の諸説。初出:『土佐物語』『元親記』ほか。

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