〈田原親賢〉耳川の戦いの総大将だった
天正6年(1578)、日向遠征軍約4万の総指揮を委ねられ、11月12日の高城川(耳川)の決戦で島津軍に壊滅的大敗を喫したこと自体は動かない。宿老の斎藤鎮実・佐伯惟教・田北鎮周らが戦死し、大友氏没落の転機となった。経過の初出は『大友興廃記』『両豊記』等の軍記、島津側記録、フロイス『日本史』。
天正6年(1578)、日向遠征軍約4万の総指揮を委ねられ、11月12日の高城川(耳川)の決戦で島津軍に壊滅的大敗を喫したこと自体は動かない。宿老の斎藤鎮実・佐伯惟教・田北鎮周らが戦死し、大友氏没落の転機となった。経過の初出は『大友興廃記』『両豊記』等の軍記、島津側記録、フロイス『日本史』。