〈伊東義祐〉「伊東崩れ」— 家臣の連鎖離反と佐土原放棄
高原城開城(1576)後の諸城の離反連鎖、姻戚・福永祐友らの寝返り、天正5年(1577)12月9日の佐土原放棄という経過は『日向記』が詳述し、大筋は島津側の『上井覚兼日記』等とも整合する。籠城論すら出ない評定だったと伝わる。
高原城開城(1576)後の諸城の離反連鎖、姻戚・福永祐友らの寝返り、天正5年(1577)12月9日の佐土原放棄という経過は『日向記』が詳述し、大筋は島津側の『上井覚兼日記』等とも整合する。籠城論すら出ない評定だったと伝わる。