〈三木直頼〉喪中の江馬氏に配慮し、能興行を取りやめた

天文7年(1538)頃に江馬時経の娘と嫡男良頼の婚約が成立。娘の病臥に直頼は「きっと回復するだろう」と見舞いの書状を送ったが、天文9年(1540)正月に娘は死去した。同年、城下に能役者の一座が来た際、ちょうど百日法要にあたるため直頼は興行を中止した——という経緯が記録に残る。谷口研語氏は「気の使いようが尋常でなく、三木氏側に何らかの過失があった可能性」も指摘する(この解釈部分は諸説)。

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