〈一条兼定〉全国でもほぼ唯一の「公家大名」だった

前関白・一条教房の下向(1468)に始まり、摂関家の家格を保ったまま在地領主化した稀有な家(赤坂恒明氏らの研究)。当主は「御所」と尊称され、中村は「土佐の小京都」と呼ばれた。ただし中脇聖氏は文書発給の少なさから「戦国大名とはいえない」と論じ、権力の実態は研究上の論点。

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