〈大野治長〉「手前の覚悟比類なし」と称えられた最期
慶長20年5月8日、山里曲輪で秀頼・淀殿・母・長男とともに自害。同時代の興福寺社司による『春日社司祐範記』は「大野修理沙汰して最後に切腹なり。手前の覚悟比類なし」と、最後まで場を差配して切腹したその覚悟を特筆した。敵方の目に触れる記録が残した、数少ない同時代の賛辞である。
慶長20年5月8日、山里曲輪で秀頼・淀殿・母・長男とともに自害。同時代の興福寺社司による『春日社司祐範記』は「大野修理沙汰して最後に切腹なり。手前の覚悟比類なし」と、最後まで場を差配して切腹したその覚悟を特筆した。敵方の目に触れる記録が残した、数少ない同時代の賛辞である。