〈小西行長〉先鋒一番隊、漢城一番乗りと平壌占領

文禄元年4月に釜山上陸、約20日で漢城占領(清正の二番隊より先着)、6月に平壌陥落。日朝明三国の史料が一致する。ただしその裏で行長は開戦前から回避交渉を続け、進撃中も講和を打診し続けた(朝鮮側史料に記録)——「戦いながら和平を探る」二面性こそ実像である。

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