〈増田長盛〉西軍中枢にいながら家康に三成挙兵を通報した

慶長5年7月12日、三成と大谷吉継が挙兵の謀議を行ったまさにその日、長盛は家康家臣・永井直勝宛の密書で「吉継が病と称して垂井に滞在し三成と談合した」ことを通報し、「今後も折々知らせる」と書き添えた(宮本義己「生に固執した男たち」2000が分析)。家康弾劾状「内府ちかひの条々」に連判する5日前である。軍記の創作ではなく、文書で裏付けられる稀有な「両属」。

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