〈前田玄以〉約20年の京都所司代——寺社・朝廷との折衝
天正11年(1583)から没年まで、朝廷交渉・寺社管理・洛中の民政を担った。発給文書は多数現存し、伊藤真昭「前田玄以発給文書集成」に集成される。公家の日記『兼見卿記』等にも活動が頻出し、学術的に最も確実な部分。聚楽第行幸の奉行、方広寺大仏殿造営、寺社領の安堵・訴訟裁定まで宗教行政を広く差配した。
天正11年(1583)から没年まで、朝廷交渉・寺社管理・洛中の民政を担った。発給文書は多数現存し、伊藤真昭「前田玄以発給文書集成」に集成される。公家の日記『兼見卿記』等にも活動が頻出し、学術的に最も確実な部分。聚楽第行幸の奉行、方広寺大仏殿造営、寺社領の安堵・訴訟裁定まで宗教行政を広く差配した。