〈浅野幸長〉関ヶ原東軍先鋒——岐阜城攻めの武功

池田輝政と共に木曽川渡河の先鋒を務め、岐阜城の支砦・瑞龍寺山砦を攻めて敵兵500余を討ち取ったことは関ヶ原関係の覚書類で確認できる。本戦では南宮山の毛利勢への押さえとして垂井一里塚付近に布陣したため、白兵戦そのものには参加していない。小山評定で「上方の妻子が人質でも疑念は無用」と誓ったという発言は『寛政重修諸家譜』系の記述で、小山評定自体の実態論争もあり逐語は諸説。

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