〈蜂須賀小六〉中国攻めの調略 — 黒田官兵衛との名コンビ

鳥取城攻めでの三城降誘の進言、淡路・安宅氏の投降取次、備中高松城の清水宗治への降誘使者、本能寺の変後の情報封鎖と毛利との和睦締結——一連の交渉業務が渡辺1929などに具体的に跡づけられる。山崎の後も孝高と毛利取次を務め、婚姻で縁戚ともなった。「蜂須賀・黒田」は羽柴家外交の左右の腕だった。

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