〈藤堂高虎〉主君を七度変えた — しかし裏切りはほぼない
浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→織田信澄→豊臣秀長→秀保→秀吉→徳川家康という遍歴自体は各藩史料で確認できる(数え方で7〜10回)。だが前半は主家滅亡などによる若年期の移動、秀長以降は豊臣家中での主の交代であり、主君を裏切って乗り換えた例はほぼない。「変節漢」批判は江戸期以降の封建道徳による後付けで、戦国期の「渡り奉公」は当然の処世だった(藤田達生氏)。再評価が学界の主流である。
浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→織田信澄→豊臣秀長→秀保→秀吉→徳川家康という遍歴自体は各藩史料で確認できる(数え方で7〜10回)。だが前半は主家滅亡などによる若年期の移動、秀長以降は豊臣家中での主の交代であり、主君を裏切って乗り換えた例はほぼない。「変節漢」批判は江戸期以降の封建道徳による後付けで、戦国期の「渡り奉公」は当然の処世だった(藤田達生氏)。再評価が学界の主流である。