〈福島正則〉検使を待たずに火葬され、死後さらに没収
寛永元年(1624)7月13日に高井野で死去した際、幕府検使(堀田正吉)の到着を待たず家臣・津田四郎兵衛が遺体を荼毘に付したため、法令違反として残り2万石余も没収され大名家は断絶した(『寛政重修諸家譜』ほか)。旧暦7月の夏場で腐敗が早かったという実際的事情の指摘がある一方、「最後まで幕府への意地を通した」「取り潰しの口実を与えた失策」など解釈は分かれる。
寛永元年(1624)7月13日に高井野で死去した際、幕府検使(堀田正吉)の到着を待たず家臣・津田四郎兵衛が遺体を荼毘に付したため、法令違反として残り2万石余も没収され大名家は断絶した(『寛政重修諸家譜』ほか)。旧暦7月の夏場で腐敗が早かったという実際的事情の指摘がある一方、「最後まで幕府への意地を通した」「取り潰しの口実を与えた失策」など解釈は分かれる。