〈福島正則〉改易時、広島城は無血で明け渡された

幕府は家臣団の籠城を警戒し、鳥居成次・堀田正利らを上使として中国・四国の諸大名に城受け取りの軍勢を用意させた(『徳川実紀』等)。しかし正則が江戸で「上意とあらば是非もなし」と粛々と応じたため、大きな騒乱なく収まった。家臣団は牢人となって離散し、一部は浅野家・紀州徳川家などに再仕官。「家臣・領民が正則を慕った」という美談の細部は後世の編纂物・地元伝承由来が多い。なお猛将・可児才蔵は改易前(1613)に没しており、改易時の逸話として語られやすいのは誤り。

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