〈加藤清正〉死後、神様になった
法名から「日乗様」と呼ばれた清正は本妙寺浄池廟を中心に神格化され、享保20年(1735)の百二十五遠忌の頃には毎月の命日参詣が門前市をなした(現在の頓写会の原型)。明治の神仏分離で熊本城内に加藤神社が創建され、東京・白金の覚林寺も「清正公さま」として信仰を集める。大名個人がここまで深く民間信仰化した例は稀である。
法名から「日乗様」と呼ばれた清正は本妙寺浄池廟を中心に神格化され、享保20年(1735)の百二十五遠忌の頃には毎月の命日参詣が門前市をなした(現在の頓写会の原型)。明治の神仏分離で熊本城内に加藤神社が創建され、東京・白金の覚林寺も「清正公さま」として信仰を集める。大名個人がここまで深く民間信仰化した例は稀である。