〈加藤清正〉蔚山籠城戦の地獄を耐え抜いた

慶長2年12月、未完成の蔚山倭城に明・朝鮮軍約5万7千が来襲。清正は側近約500で急ぎ入城し、兵糧も水もない厳冬の城で約10日間持ちこたえ、援軍到着で撃退した。城兵が壁土や紙を口にしたという細部は後世の潤色を含むが、籠城自体は従軍記録で確実。この飢渇の教訓が熊本城の設計思想に生きたとされる(動機の解釈は諸説)。

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