〈京極高吉〉高次の人質差し出しと「信長の庇護」
嫡男高次を人質(証人)として信長に出したことは諸系譜・研究で一致(年次は元亀元年(1570)・高次8歳とするのが通説だが幅がある)。晩年の安土居住は一次史料で確認できる——1581年度日本年報に「信長の庇護の下にあって今や偉大な殿であり、当城下にあるもっとも立派な邸宅の一つを所有していた」とあり、フロイス『日本史』も同趣旨を記す。
嫡男高次を人質(証人)として信長に出したことは諸系譜・研究で一致(年次は元亀元年(1570)・高次8歳とするのが通説だが幅がある)。晩年の安土居住は一次史料で確認できる——1581年度日本年報に「信長の庇護の下にあって今や偉大な殿であり、当城下にあるもっとも立派な邸宅の一つを所有していた」とあり、フロイス『日本史』も同趣旨を記す。