〈三好三人衆〉将軍義輝を殺したのは久秀ではない
永禄の変(1565)の襲撃軍の中核は三好義継・三人衆・松永久通(久秀の嫡男)。久秀本人は当日大和に在国し現場にいない。『言継卿記』永禄8年5月19日条などから部隊構成が確認でき、近年の研究でほぼ確定。「久秀=将軍殺し」像は『足利季世記』以降の軍記・講談による後世の増幅である。
永禄の変(1565)の襲撃軍の中核は三好義継・三人衆・松永久通(久秀の嫡男)。久秀本人は当日大和に在国し現場にいない。『言継卿記』永禄8年5月19日条などから部隊構成が確認でき、近年の研究でほぼ確定。「久秀=将軍殺し」像は『足利季世記』以降の軍記・講談による後世の増幅である。