〈徳川家光〉弟・忠長の改易と自害
甲府蟄居(1631)、改易(1632)、高崎での自害(西暦1634年1月)という経過は幕府記録で確認できる。問題は原因で、家臣殺害など「乱行」説、将軍権力確立のための計画的排除説などが並立。小池進『徳川忠長』(吉川弘文館、2021)は「兄弟憎悪」ではなく、世継未確定のまま兄と同格に育てられた構造的悲劇と位置づける。
甲府蟄居(1631)、改易(1632)、高崎での自害(西暦1634年1月)という経過は幕府記録で確認できる。問題は原因で、家臣殺害など「乱行」説、将軍権力確立のための計画的排除説などが並立。小池進『徳川忠長』(吉川弘文館、2021)は「兄弟憎悪」ではなく、世継未確定のまま兄と同格に育てられた構造的悲劇と位置づける。