〈内藤昌豊〉対上杉外交の最前線にいた
元亀2年(1571)12月、上杉方(北条高広ら)からの同盟申し入れを、信玄側近の跡部勝資と協議のうえ拒否したことが一次史料で確認できる(丸島和洋氏)。軍記の脚色ぬきで、昌秀が軍事だけでなく外交交渉の中枢にいたことを示す最良の証拠である。
元亀2年(1571)12月、上杉方(北条高広ら)からの同盟申し入れを、信玄側近の跡部勝資と協議のうえ拒否したことが一次史料で確認できる(丸島和洋氏)。軍記の脚色ぬきで、昌秀が軍事だけでなく外交交渉の中枢にいたことを示す最良の証拠である。