〈宇喜多秀家〉島津は秀家を「売った」のか
慶長7年(1602)の徳川・島津和議に伴い身柄は引き渡されたが、島津忠恒は同時に助命運動を展開。相国寺の西笑承兌に取り成しを依頼した忠恒自身の書状が現存する。「売った」のではなく、庇護しきれなくなった島津が助命を条件に引き渡したのが実態。前田家の関与は、利長よりむしろ芳春院(まつ)が動いたとする説がある。
慶長7年(1602)の徳川・島津和議に伴い身柄は引き渡されたが、島津忠恒は同時に助命運動を展開。相国寺の西笑承兌に取り成しを依頼した忠恒自身の書状が現存する。「売った」のではなく、庇護しきれなくなった島津が助命を条件に引き渡したのが実態。前田家の関与は、利長よりむしろ芳春院(まつ)が動いたとする説がある。