〈宇喜多秀家〉21歳で在朝鮮日本軍の「総大将」

文禄2年(1593)2月18日付の秀吉朱印状は秀家宛に発せられ諸将への伝達を指示しており、総大将格の扱いは確実。ただし秀吉は同時に加藤光泰らへ秀家に「異見」(訓戒)するよう命じており、老練な武将が若大将を補佐する体制だった。幸州山城攻めでの矢傷も史実。

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