〈高橋紹運〉落城前日、講和交渉に出向いていた

島津側の同時代日記『上井覚兼日記』天正14年7月26日条に、紹運が島津方の「笠の陣」まで出向き「退城はしない」ことを条件に講和を持ちかけたとの記録がある。つまり紹運は交渉を一切拒んだのではなく、城と面目を守る形の停戦を模索していた可能性がある。「完全拒絶の殉教者」像は軍記による純化とみる余地を示す、近年の重要論点である。

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