〈斎藤義龍〉父殺しの後も、美濃は割れなかった

主殺し・父殺しは戦国でも重大な悪名だが、義龍治下の美濃で大規模な内乱・離反は起きず、支配体制はむしろ強化された。六人衆連署制・印判状・貫高制(「斎藤文書」)による統治は勝俣鎮夫氏・木下聡氏らが実証。横山住雄氏は「義龍がもう少し健在であったなら、浅井氏をかなり追いつめていただろう」と評する。再評価の核心である。

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